直江×高耶バトン?

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^^)
 
 本日はまたお出かけのため、本日の記事もタイマー投稿しております。
 ということで、またちょっとバトンをお借りして、遊んでおります。(^^ゞ
 手抜きといえばそうかも……もごもご;;

 なんでも、「言葉遊びバトン」ということなので、お題に出されているキーワードに自由に答えていくという、そんな遊び心で始めたつもり……だったのですが。

 なぜか、お題を眺めているうちに、脳みその中で、直江と高耶さんが;;
 ……きっとこれ、私の神経細胞が、直江×高耶に染まっているからなのだと思います。ある意味ビョーキ?;;

 あいかわらず、面白い回答はできませんが、下記が私の「直江×高耶連想」です……。
 言葉遊びバトンのはずが……。すみません;;


言葉遊びバトン

Q1 茜空
A1 この空は、あなたをいとしいと思う気持ちによく似ている。
Q2 理由
A2 いとしいと思う気持ちに理由はない………本当にそうだろうか。出会ったことにも、きっと理由がある。理由がなければ、なにも存在しない。
Q3 螺旋
A3 右に折れたつもりがいつのまにか左に曲がり、君を追うつもりが、いつのまにか、追われているときがある。手を伸ばす。めぐる輪は、未来へ向かうのか、過去へいくのか。
Q4 横顔
A4 息をひそめてみつめるもの。見つめれば時がとまるもの。見つめられていると知っていてあなたは横顔だけを私に許す。視線はけっして許さない。それでいい。一瞬と永遠。――君の横顔。
Q5 無音
A5 永遠の沈黙。静けさと安寧。――あなたの深い眠り。遠い宇宙のどこかで、声もないまま、いまもこの瞬間、星が生まれている。その無音が聞こえる。

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血液型ゲノム

 やってみました血液型ゲノム。
   ↓↓↓
http://blood-genome.com/

 結果、私の場合。
 総合的なところでは、

礼儀者B型
礼を重んじます。よい人です。


 と言っていただけるのはありがたいのですが、項目別に見たとき、

自分の考えや行動に自信を持っており、自己中心的なところがあります。ちょっとずるいところがあります。

 こー言われてしまうと、「どこがいい人?」という気がするのは私だけでしょうか。
 ……反論ですか? ありません。(←おい…)
 自分の考えや行動には自信などない、が、他人からあれこれ指図されるのが大嫌いなので、結果的にそういうふうに見えるのだろう、というのが私自身の実感です……。
(あれこれ指図されても、なるほど道理だと思えば素直に従うので、日常的にはほとんど摩擦がない。このため、他人にはあまり気づかれていないだけ、というのが実情ですね;;)
 うーん、考えりゃ考えるほどサイテーじゃねーか?

静なときと熱いときの温度差が激しいです。

 これもまたあたってる。……けっこうすごいのかも。「血液型ゲノム」。
 ちょっと意外だったのは「マイペース度」が低めだったこと。
 他人の顔色をうかがうところがあり、またそれをくよくよ気に病む傾向があるのは、ばっちり判定に出ているので、そういう意味ではたしかに、マイペース度は低いのでしょうか。

 しかし、なにかがあってぶっちりキレると本性丸出し、「マイペース」どころじゃなくなるのは、自分でもいささか問題だと思っております。……極端なんだ、よーするに。
 これですもの、「中道」やら「中庸」やらに、そりゃあ憧れますよ。自分にないものですから。

 ……いまだから言えることですが、同人活動していて疲れ果てた部分があるとすれば、まさにそういうことだったと思います。
 私にはあいにく、なにかや誰かを偶像化したり、生臭いとわかっているものを信仰するような趣味はないのです。(へんなふうにリアリスト;;)
 それゆえ、自分ではつまらないほど常識的だと思っているのに、どうも、ほかの方々、というか一部の方々とは意見が合わないところがある。そういう方々から見ると私は、常識的どころか、「異端」なわけですね。
 意見が違うのは仕方のないことだと思うので、そのへん、放っておいていただければありがたいのですが、「あなたの言うことは間違っている」「そういう見方は間違っている」「そういう感想は間違っている」、さらにエスカレートして「彼を愛せよ」「彼を奉ぜよ」「彼を崇めよ」「“納得できない”のは間違っている証拠」と、折伏(しゃくぶく)しようとしてくる人もまた、いることはいる。

 思想統制する気か? と反発を感じつつ、それでもまあ、無闇に他人様を不愉快にさせるのも、私の本意ではない。ということで、そのへんは、遠回しにものをいったり、予防線を張ったり、可能な範囲で妥協したり、していたんですよね。あれでも。

 しかし、つくづく、そういうことに疲れた。
 好きなものを好きでいたいだけなのに、なんでこんなにあちこちに気を使ってんのあたし? なのに、あげくの果てには「あなたは間違ってる」みたいに“セッキョー”されてさ。一生懸命、気を使った結果がこれか。馬鹿みたい。
 そう思ったのが、「臨界点」だったようで。自分ではそのへんにこだわっていないつもりでしたが、それすら、じつは自己欺瞞だったのかも。

 好きということは偉大なことだと私は思います。
 それゆえに、他人様の、好きという気持ちを傷つけたくはない。
 それと同じくらいの強さで、また、私も、私の「好き」を、踏みにじられるのには我慢ができません。
 そういうことに気を使うことに、ほとほと疲れ果てて、「もう充分(活動を)やらせてもらった」「ここまでだ」――と。

 そういうことだったのか。
 いま、血液型ゲノムの結果を見ながら、思いました。(^^;)

 あのへんを境に、「もう、自分に正直に生きよう」という気持ちが出てきたのは事実。
 自分でも意外でしたけどねえ。……たしかにマイペースにやっているところはあるので、自分が、それほど「他人の顔色をうかがって、自分というものを、かえってないがしろにしている」とは、思っていませんでした。
 が、はっと気づいたら、まさに私はそういうことをしていて、あまりにも「自分自身を無視してきた」。それが非常な疲労感になっている、と気がついて。
 もう、そういうの、やめよう。
 と思いました。

 ひとさまに気を使っているつもりが、結局、それは自分をないがしろにしていることになり、相手にしてみれば、そんなことはべつに斟酌しないし関係ないし、私は疲れるだけだし、あげくには、疲れてぶっちぎれて、かえって相手に迷惑をかける。
 としたら、「気を使う」なんて言ったって、そんなもん、ただの自己満足、ひとり相撲でしかない――結局、だれのためにもなっていないではないか。
 そう気がついたわけですね。
 だから、もう、やめよう、と。
 

 こういう心理テストというかゲームというか、は、シャレ、というべきものなんでしょうが。
 場合によっては、思わぬ角度からふりかえって、自分に気づく、という効果が、あるのかもしれません。(^^;)

この空は…

 いやはや、昨日は焦りました! ブログ、記事を投稿しようと思ったら、管理画面にログインできないんです。
 IDやパスワードが間違っているとさえいわれず、Not Foundが出たりして、ブログ自体を消されたのかと本気で焦りました;
 な、なんか規約違反しちゃったかな? と、びっくりして情報ページを見てみたら、ものすごい規模で同じ現象が起きていることを知り、「あ。削除されたんじゃないんだ」とホッとするやら、いやホッとしてる場合じゃないと焦るやら。
 午前10時頃から、一部のサーバーではなく、全体的にトラブっていたようですが、午後1時半頃に試してみたらログインできました。

      ●

 昨日の夜は、全部ではありませんが、「東京ガールズコレクション」を見ておりました。NHKなんでブランド名は絶対に言いませんが。(あそこまで徹底されるとむしろ、公共放送、ガッツよね~と感心したくなる;;)
 私自身はもちろんああいうファッションには縁がございませんが、美しいもの可愛いものを見るのは好き。(^-^)
 あの会場のノリは女子校のノリなので、なんだか懐かしさもあるし。(^^)

 ――それで、見ていて、またへんなことを思い出しました。

 ただいまはミニスカートが流行りなのですね。
 それで思い出したのですが、先週東京へいったとき、目のやり場に困った女の子がいまして……。
 背がすらっとしてスレンダーで、たしかに当節のミニスカートが似合ってましたが。
 ミニスカート、というかマイクロミニってやつですね。で、スカートの下はレギンス。それはいいんですが。
 ――「ハミ尻」でした……。
 スカートの下から、お尻の下の部分がチラ見え。

 彼氏と思しき男性と腕を組んで歩いていたので、せっかくの(?)「ハミ尻」だが、彼氏には見えないんだなあ。ほんで、赤の他人のあたしがこうして見ちゃっているのだなあ。
 ――これでいいんだろうか。
 と思いましたが、……いいも悪いも……しょうがないですよね。(^^;)

 うーん。尻の長さっていうのは、なかなか自分じゃチェックしづらいしなー……。といって、「もしもし、尻がスカートからはみ出してますよ」というのもなー……。(そんなことを指摘されても対処のしようもなかろうし…;)

 私は若い人の流行にもうといので、判断に迷ったんですよ……もしかしたら、ハミ尻も、いまやファッションの一部としてOKなのかもしれないし、と。
 ……ひとさまの尻を眺めて悩んでしまいました。(品川駅の、新幹線側から山手線までいっしょに歩いていくようなかっこうになっていたので、……べつに後をつけていたわけではないんですよ~; そこまでヘンタイじゃないです~;;)

 ファッションに詳しい方がいらっしゃったらおうかがいしたいです。……ミニスカートの下から(レギンス穿きで)ハミ尻って、アリですか?
 ローライズパンツはいてしゃがんだら、半尻丸見え、というのはさすがに見苦しい、というのは間違いないらしいから、やはりハミ尻もいかんのかなとは思うのですが、いまいち、判断しきれない。ううむ(苦悩)
 
      ●

 昨日の話題からふと思い出す。
 奈良といえばミラージュ読者にとってはツアーの基本的路線。(と信じます)
 そういえば、と、私が思い出すのは、やはり二月堂。

 読みはじめた当初、私にとっては直江というのは得体のしれない、ちょっと気味の悪い人でした。
 何を考えているかわからないというか。

 しかし、あの二月堂からの、初夏の夕景、その空をながめ、「あなたを思う気持ちに似ている」といった直江に、初めて親近感を覚えまして。
 なんとなく、あの直江には、はっとしました。
 個人的に非常に印象深く、思い出深い場面であり、場所でございます。

 直江については、よく、「直江は私の理解の範疇(はんちゅう)?外?の人」といっていたのですが、やっぱり最後まで、私にとっては「謎の人」「理解不能」だったのかもしれません。
 が。あの場面の直江にだけは、共鳴するものを覚えていられるので――好きな場面です。いまも。

 ………うーん。やはり今年は、イベントがらみじゃなくて旅行にいくか? (^^;) 

     ●

 蛇足はつづく。
 なんですか先日、「好悪」を読めなかったテレビキャスターがいたそうで。
「こうあく」と言ったので、一瞬意味がわからなかったとうちの母がいってました。

 ………学力低下が心配なのは、子どもじゃなくて大人のほうなんじゃ……;;

 私もこの単語はけっこう使うので心配になりまして、老婆心ながら。
 「好悪」は「こうお」と読みます。
 「悪寒」がする、の「お」です。「憎悪」の「お」です。
 好悪、すなわち好き嫌いのこと。

 ああ……なんだか本気で「頭痛が痛い」。

ひさびさ、ミラ語り

 そういえば、わりと、高耶さんファンは直江への、直江ファンは高耶さんへの、評価というか態度というか――まあ、そういったものが厳しい場合が多いんですね。(^^;)
 私はもう、いつのまにやらその状況に慣れてしまっているのですが……うーん、そうですか。そういうご意見はまだありますか。(“まだ”というか…;;)

 でも、そうですねえ、見ていると、高耶さんファンの、直江に対する態度のほうが厳しい場合は多いかもしれないですねえ。
 シャレのひとつとして「直江が(うらやましくて)憎い!」とかいうのは、わからないこともなくもないことはありませんが(煙に巻く~)、どうやら本気で直江が「嫌い」らしいのを拝見すると、たしかに私なども、あらまあ、と思いますね。……慣れましたが。
 
 もちろんその逆で、直江ファンの、高耶さんに対するご意見にも、おやおやと思うことも以前にはけっこうありましたし……うーん。面白いな。

 かくいう私自身は……どうなんでしょう。
 最初は、自分は直江ファンだと思っていたのですが、途中で、いやむしろ、私が感情移入しているのは高耶さん(景虎様)のほうだぞと気がつきましたし……、んで、高耶さんに感情移入すると、直江さんには惚れざるを得ないので、直江が憎いとか、彼を「嫌う」という感覚は、正直言ってわからない。
 
 もっとも、私の場合は感情移入というよりも、それは「追体験」だったかとも思いますが。

「感情移入」は、現在、現実にここにいる「私」が投影されている状態ですが、「追体験」はむしろ、そういう現実の自分から抜け出して、「私」なんぞうっちゃって、その登場人物に、ある意味「なりきって」、その人物として擬似体験している、という状態ですね。

 思えば、本を読んで魂を三千世界の彼方へ飛ばすあの恍惚感は、どっちかつーと「追体験」によるもの。
 で、高耶さんを「追体験」すれば、直江にたいしては…………そりゃあもう。ねえ。

 同じことは直江にも言えます。
 私からすると、より親近感があるのは高耶さんですが、でも、だからって直江を「追体験」しなかったわけではないですから――やはりこれも、高耶さんなり景虎様なりを、厳しく評価する「だけ」、ということは、ないです。基本は愛です(妙にきっぱり)。

 私は、「直江×高耶」好きなのであり、どちらかしかいないとか、どちらかさえいればよいとか、そういうことはなくて、「ふたり揃ったところでのファン」になりますねえ。
 ゆえに――どちらかのファンの方が、もう一方に憎悪があると、あらまあとかおやまあとか言いながらも、もう慣れたよと笑いながらも、やはり、ちょっと悲しい。

 本音を言ってしまえば、「高耶さん/直江が好きなのに、なんで高耶さん/直江が好きな直江/高耶さんを“嫌う”のだろう?」というのは、私の長年の疑問ではあります。
 ここはひとつ、どなたか勇気のある方に、そういうご自分のお気持ちを分析して、解説していただければ「面白い」かも――とは思いますが、「結局、面白がってるだけじゃねえか」と叱られそうなので、言わずにおきます。(^^;) ←と言いつつ言っている。

 なんでそこで「勇気ある」という形容がされるかというと。
 経験のある方ならおわかりでしょうが、自分が嫌いなものを、なぜ嫌いなのか、じっくりと自分の気持ちを眺め、たどり、内省から内観へと視線を深めていき、自分自身を観察するのは、けっこう、恐怖体験になるからでございます。
(好きなものの分析は、まあ、それほど怖いものは見ずにすむ)(情けない思いをすることはある)

 内省から内観へ進めて、結果、理由や仕組みがわかったとしても、それを他人にあけすけに話す、という場合、また、ここでも、別の勇気がいります。

 自分の主観と向き合う、ましてそれを他人に話すのは、なかなか、つらいものがありますよね。(^^;)

私論…

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

      ●

 いろいろ考えておりましたが、残すところ最後の野望(…というにはあまりにも;)にどうにか取りかかれ……「そうな」ところまで参りました。
 評論本を、てなことを長い間考えていたのですが、……はっきりいって、これは挫折です; いいところ「私論」です;; あ~あ;
 原作の読み返しもしてみたのですが、どうにもこうにも。手がつけられない。考えてみたら阿蘇のあたりで「筋書き」そのものからはじつは脱落していた、だらしのない読者だし、……私が読み解こうとしたものは、テキストから「直接」掘りおこすのはかなり困難。
 典拠を示せるように努力はするつもりですが、……難しいだろうな。(--;) という気配がすでに濃厚です。みょーな読み方してきたんだな、というのが実感されてしまふ。

 本当をいうと、一度ならず、「やっぱりこの企画、やめるか…」と思ったんですが…。発行できたらお知らせしますということでお預かりしていた、ペーパー送付用の封筒を眺め、平あやまりに謝るしかないか…とか、考えていたのですが。
 ……しかし、…毒食らわば皿までとばかりに頑張ってきたのは、このためであったとさえ言えるというのに、それも残念な話だし。
 ということで、「評論」はあきらめて「私論」で。

 主に私が主軸として書きたいものを、本文から掘り返すのが、どうにも困難みたいです。なにしろ……、筋書きやこまかい筋や人物は、右に振れ左に振れ、矛盾点は数え出したらきりがない。あらためて一気に読み返すと、そういうところが目についてしまいまして、……諸事情をかんがみれば、そういう意味での一貫性を求めるのは無理ってもんだ、というのは承知しているのですが、………ううむ。
 こういうものから首尾一貫できるようにすくいあげていくのは、……とてつもない作業になってしまいます。途中までは頑張っていたのですが、記憶力が貧弱な私の、手に負えるものではございませんでした;;

 そんなわけで。
 さんざん時間をかけてきたわりに、なんだかヘボい「私論」になりそうで……、いまの時点ですでに、「申し訳ございません」と謝ってしまいます。すみません。m(_ _)m
 また、原作完結時、よろよろしながらサイトに、その考察を書いていたものも、加筆修正して組み込んでみようと思います。(あれも結局、頭きて、わりとすぐに下げちゃったんですよね)
 この「私論」本だけは、もー、遠慮しないで書く! と決めておりますので、そこはちょっと気が楽だったりして。(^^;)
 そんなつもりはなかったんだけど……、いつのまにか、気を使うあまりに「萎縮」していたところがあったんだなーとあらためて思ったり。
 今回は、そういう気遣いが必要と思われる方は、こんな私論には近づいてこない(断定)、という前提のもとに書きます。はい。愛と思い入れはあっても「信仰」はない。そういうものになる予定です。

      ●

 昨夜は見るとも無しにNHKの時代劇「陽炎が辻」(でしたっけ?;)を見ておりましたが。
 エンディングの猫にやられました~。可愛い~vV
(何を見てるんだか……)

遠回しに反省

 好むと好まざるとに関わらず、内緒の本の作業にかかっておりますとどーしても過去を振り返るようなことになって、あれこれ思い出されます。
 正直にいうとあんまりふりかえりたくねえな~、と思っているだけに、なんだかもー、それだけで気分がどよ~んとしてきますが……それでも、さすがに今ふりかえれば、なるほどな、と思うこともございます。
 あまり外にはださないように心がけていたつもりですが、ということは私自身としては、表向き嘘ばっかりついていたことになります。やっぱりそういうのは、社会的には必要なことでも、内面的にはいいことじゃないなとつくづく思いますね。
 お体裁ばっかり言っていると、――そういうお体裁をちゃんと受容できる、大人の精神構造を持っていない人間なもんで、そういう自分自身にムカムカ腹がたってくるんですよね。

 あのとき……2ヶ月ほどもたったころ、かえって、あっと気がつくことがあり、それで地獄のように落ち込んでいた理由も、ようやく見えてきた気がします。
 これをいうと、人によっては「まさか」と言うのだろうと思いますが、私、これでもけっこう、相手に合わせる、というところがございまして。相手が望んでいるとおりに話をしようとするところがあります。
 意識しているにしろいないにしろ、その人が言ってもらいたがっていること、聞きたがるようなことを汲んで、できるだけ、それに合わせてものを言おうとするところがある。……ホントですって。
 それでも、ここは譲れないというものについては、これはもう遠慮会釈なくそのままずばりと言うので(これは“本性”)、ふだんはわりと繊細に神経を使っているなどとは、周囲の人々には認めてもらえないだろうな~とは思います。
 
 で、もう長いこと、感想ペーパーだのなんだので、そりゃもー好き勝手を書き散らしているように思われていたはずですが、……じっさい好き勝手に書いていた部分もありましたが、あれでじつは、それなりに、気を使っていたのです。
 他人様を不愉快にさせないよう、可能な限り気をつけるのは、悪いことではないはずですが、……ことミラージュに関しては、その対象に迎合するあまり、「気づかい」を通り越して「嘘」になっていた「部分」がありました。
 あれでも――ずいぶん気を使い、「こういうことを言ったら不愉快にさせるだろう」ということからあえて避けていたものがあったんですよね(あれでも!)。そんでも、ちょっと気がゆるんで、ぼろっとそれが出てしまったことがありました。そしたら予想通りの反応がきたので、ほらきた、と思いまして。以後は、さらにおとなしくしていました。あれでも。
 そんなこんなが積み重なって、結果的には「配慮」ではなく、「嘘」になっていた「部分」があったのに、自分ではなかなか気がつかなかった。

 あれで気を使っていたのなら、気をつかわなかったらどうなっていたのか、と言われそうですが……、まったくです……どうなっていましたかねえ(遠い目)。やっぱりフクロにされてサークル活動できなくされていましたかね?(それをきめるのは私じゃない)

 しかしある意味、他人様はだませても自分はだませないものでございまして、………何年間かの積み重ねの結果、「嘘」になっていた部分に自分で気がついたとき、そらあもう、言語に絶する勢いで自分に腹がたち、同時に落ち込んだ、と。

 去年あたりから、しきりと、「人に合わせてものを言うな」、と自分に言い聞かせているようなところがありまして、自分でも、はて何を言っているのだろうと思っていたのですが、たぶん、そういうあたりからの、私なりの「反省」のようです。
 おそらく他人からはそうは見えないのに(これは日頃の行いが悪いから (^^;) )、相手に「迎合」してみたところで、結局、そんなもん、誰のためにもならない。だから、もう、そういうのはやめよう、と。

 人間というのはやっぱり、複雑なところがありますね。自分でいうのもなんですが、私はよくも悪くも周囲の思惑を「気にしない」で、じつにマイペースに考え行動するタイプですが(これまでの人生、熱狂する集団とは、むわぁったく縁がない)、しかしそれでも、たとえ他人にはわかってもらえなくても、相手の顔色をうかがいながら話をするところがあったとは。自分でも意外です。

 しかしそれも度が過ぎれば、結局ストレスになって最後には爆発するんだから、かえって周囲には迷惑。そんなんだったら、最初からやらないに限る。
 気遣いをするのは悪いことではないから、「嘘」にならない範囲で気づかいができるように……、そこのバランスを見極めるのが、私の今後の課題なんでしょう。

 ……いま思い返すと、苦い思いもありますが、気がつかずにいた自分の部分に気づき、それを少しずつでも直していこうということであれば、これもひとつの「機会」になったのだろうと思います。
 そうは言っても、けっこう長い間の「習い性」ってやつなので、いきなりやめることもできませんが。
 じっさい、この「反省文」も、具体的なことはなにひとつ、書いてませんからね~。(^^;) すんげえ遠回し;; 具体的には、どういう「本音」があり、どういうことが「嘘」だったのかは書いていない。
 やっぱりそれは言えないなあ。これはもう、最後まで黙っているつもりです。

 べつに悪意があるんじゃないですよ。悪意があるようならサークル活動なんかしてません。
 ただ、どんなに好きなものであっても、黒は黒いし、白は白い。私にしてみればそれだけのことなんです。
 しかし我々、お互いに、じっさいの光の波長の長さを見ているわけじゃないので、私には黒に見えても、白に見える人もいる。それはわかる。
 そこのあたりはお互いに仕方のないことだと思いますが、仕方ないとは思わない人もあるんですよね。白に見えるのではなくて、それは本当に白なのだ、白が「正しい」のだと。――でもねえ。どんなに何を言われても、私にはそうは見えないものって、どうしてもあるんですよ。そこで迎合して「そうですね、白ですね」と言えば、それは私には嘘になる。

 そんなこんなの結論が、「雉子も鳴かずば撃たれまい」てんじゃ、ちょっと悲しいものがありますが――でも、黙っているのがいちばんいいのかなと思っちゃうのも事実なんだよなー……。
 このあたりの話は、ミラージュに限らず、世間一般に言えることですが。

 まあ、なんにしても、それもこもれももう済んだこと。
 私としては「迎合」をやめて「気を使う」範囲を考え直す機会にできたなら、それでいい。そう思います。

 …あ~。ほんとに遠回しだな~;

時の形見

 2000年から2004年ごろまで、激しく体調不良に悩まされ、部屋の片付けもままらない時期がありまして、その間にすっかり魔窟と化した押し入れを、去年の1月から片付けております。
 まったくゴミ溜めたァこのことだぜ、と自分でも呆れながらなんですが――なんで1年以上もかかっているのかというと、真冬と真夏の間は活動しないからです;
 とはいっても昨年頑張って押し入れの下段を片付けたら、本当にすっきりしまして。今年上段を片付け終わったら、こんどこそ人間の収納になるぞというところ。もうひと頑張り~。

 ということで、暖かいこのごろなので、また片付けを始めていたのですが、昨日、クリアファイルにおさめられた紙束が出てきまして。はて、なんだろうと思ってみたら、――かなりの量の、「上杉藩御用達」でした。………うへえ~~~~~。(←なかばビビり)

 時期的にはごく初期……どころじゃない。まだ、「上杉藩御用達」という名前もついていない、本当のvol.1からno.17まで(19巻対応分まで)あるようです。(←ちゃんとは確認していない;)
 そ、…そういえば、これ、人様からいただいたんだったわ…と思い出しました。なんでこんなところにしまいこんでいたのか、わからない;;
 厳密にいうと「御用達」のコピーですね。著作権法違反と言われるのかもしれませんが、これをくださった方は、これを大量にコピーして他人に配った、もしくは売ったということではなく、あまりにのほほんとしている私を見かねて、これをどうぞとくださったものなので、お目こぼしいただければと思います。もう10年以上たっておりますし。

 にしてもまあ、懐かしいですねえ……。私ではなく、これを下さった、その方の勢いを感じます。これだけの分量を手元に残し、かつ、わざわざコピーしてくださったというのも、並大抵の熱意ではないように思えます。
 私はまったく不埒な人間でして、ここまで生きてきて、どなたかにファンレターを送ったことは、片手の指で足りるくらいしかありません(片手でも余るか…)。ゆえに、オリジナルたる「御用達」をいただたいたこともない。(「上杉藩御用達」は、作者様に手紙を送った方に、お返事がわりとして送られた、ペーパー仕様のものですね)

 これにはひとつ理由もあるのでして――たびたび申し上げておりますように、私はあまり、作者のプライバシーには可能な限り、首なり足なりを突っ込みたくない、という気持ちがあります。「著者近影」すら、やめてほしいと思っているほど。
 ふだんの人付き合いのなかでも、私はあまり、他人のこと――それが友人でも、あれはどうした、これはどうなった、などと根掘り葉掘り聞きたがるタイプじゃないんで。相手が話したときは聞く、もしくは聞いてほしそうだったら聞く、そんな感じ。
 その延長線上の感覚だと思います。

 おまけに――学生のとき、さんざっぱら作家、作品研究をしてきたのですが、そういうなかでなにを思ったかというと、――「とうの昔にお亡くなりの方だとはいえ、こうもプライバシーをほじくり返すのはちょっとなあ」「死んだあとで、ここまで他人にああだのこうだの、探られる作家っていうのも、因果だよなあ」。
 フィッツジェラルドが好きで、最後の専門は私はそれでしたが、まあ、それを勉強、「研究」しながら、自分のやっていることを、けっこうひでえ、と思ってました。
 サリンジャーはご存命ってことで、昔の恋人にあてたラブレターまでが白日のもとにさらされるなんてことはありませんから、純粋に、作品を読み込んでいたのですが………「これで充分じゃないのか」というのが、私の感想でした。

 なもんで。
 文芸批評の場面において、作品本位か、それとも、作家の「歴史」までほじくりかえして、作品を読みとく材料にするのか、批評の手法について議論されることはあるようですが、私は「作品本位でいいじゃないですか」という立場です。
 自分でいうのもなんですが、恥じらいが過ぎるんですかねえ……。
 でも、やっぱり、なにか作品を読んで、作者に興味を引かれることがあったとしても、私はそれ以上は故意に進まないようにします。書いた人ってどんな人、どんなプロフィール、なにを考えてる人、この作品を書いたとき、どんな事件があって、どんな精神状態だったの? などと「踏み込んで」いくのが、土足でずかずか他人の家に踏み込む気がしてしまう。
 考え過ぎかとも思うんですけど。(^^;)
 でもじっさい、そんなことを知らなくても、作品を読んでいくことはできるわけですよ。作者のプライバシーまでのぞくことが、作品を読むうえで必要か、不必要かといわれれば、べつに、どうしても必要なものじゃない、と思う。
 
 ゆえに――せっかくいただいたこの「上杉藩御用達」も、けっきょく、あんまりまともには読んでいない。といって、処分する気にもならず(さすがにそこまで無関心でもない)、押し入れにしまいこんでいたのでしょうね。
 うひゃ~、といいながら、昨日はぱらぱら、目を通していたのですが………まあ、何と申しましょうか……「みんな、若かったなあ」って感じ。(^^;)
 こういうものを読んだとき、私自身はそれをどう思ったのか、その記憶はあるもんですから、「ああ、私も若かった」と思っちゃうんですよね。(^^;)

 いまはただ、――なにもかも懐かしい。ってところでしょうか。
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