臆病による直感
2017年07月27日 (木) | 編集 |
 初対面のときの印象には「ハズレ」がない、と思ってます。
 どうも初めましてと顔を直接合わせたときの印象、受けた「感じ」は、良くても悪くても、ハズレがない。
 これは途中から、ほとんど私には「信仰」になっております。

 パッと見たときの感じというのは、いい悪いというよりも実際にはもっと複雑で、その「人となり」を感じ取っているのだと思ってます。
 それに対する私の好き嫌いはまた別のこと。

 何しろパッと目と目が合った瞬間に決まることなので、若い、というよりまだ幼い頃には、私も、「人を見た目で判断してはいけません」という教えを真に受けて、いやいやいやいや、初対面の印象だけで決めてはいかん——などと揺らいでいたんですが。

 なんどか、「あれえ?」と思うような経験をしてのち、「初対面の印象は確かなものだ」と思うようになりました。

 たぶん、「人」というものに対する私の「直感」でしょうねこれ。
 ほぼ外さない。パッと見たときの「印象」は、9割がた、「当たる」。まず、外れはない。

 周囲からの評判がイマイチな人でも、私が見ると、そうかなあ、そんなことないと思うけどなあ、と思っていると、実際あとからものすごく光るものがあるとわかるとか。
 皆はいいように言っているけど、どうも私はやだなあ、気心がしれないなあ、と思っている人が、最初は愛想も良くて「いい人」のようだったのに、まさしく「裏の顔」を出した瞬間を見てしまうとか。

 最初にはいい印象ではなかったけど、どうもそんなに悪い人ではないらしい、最初にあんなこと思っちゃって悪かったなあ、——なんて反省していたら、あることで馬脚を現し、衝撃を受けつつも「直感は正しかった」ということがあったり。

 そういうことを積み重ね、ひとつひとつ数えてみると、私の「勝率」は9割ほどにもなる。中には10年単位で確認した例もありますから、それなりに信頼できると思ってます。

 私はたぶん人を「外見で」判断しているわけではなく、目と目が合ったとき、何かを直感的に「探って」いるのだろう、という結論になりました。

 目と目が合って互いに認知するというのが大事でして、直接「見る」とは言っても、自分はその人と話すわけでもない、遠目に、あれが〇〇さんだよと言われた程度では、この直感は働かない。

 目は心の窓なんて言葉もありますが、実際、視線が合う、というのは大事なことなんでしょうね。
 目には見えないけど、この瞬間の「情報量」ってものすごいことになってるんじゃないだろうか。ギガやテラを超えるくらいに。

 直感、というとただの動物的なカンみたいに思われることが多いでしょうが、私が印象深く覚えているのは、学生の頃、社会心理学の先生に、何の話題のついでだったのか、
「直感は、いわゆるカンではない。ちゃんと本人は情報を収集し、分析し、結論を得ているのだが、そのプロセスがあまりにも高速なので本人にも知覚しきれない。だから説明がつきにくいと感じるので、カンです、と言ったりするが、直感は論理的なものであり、山勘とは違う」
 と言われたこと。

 確かに、ただのカンではないのは、時間をいただいてゆっくり考えてもいいのであれば、なぜそう思うかそう感じるのか、説明できないことはないから。
 私はこれを、よく「言葉に翻訳する」と言います。結論があって、そこから分解していって、なぜその結論になるのかを導き出す。
 ただのカンであれば、そういう帰納的な説明にたどり着くはずもない。

 ただ、私がいう「説明」は、他人から見るとかなりぶっ飛んでいて意味不明のところがあるでしょうから——理屈として成立しているとは思ってもらえないだろうことも、承知してます。(^^;)

 でも、私としては、ちゃんと、あーなってこーなってそーなってるからこの結論、という「道筋」はちゃんとあるんですよね。
 直感とカンは違う、と言われて、なるほどと思えました。

 若い頃には、私は相手の「見た目」で判断しているのではないかと少々、コンプレックス気味に思ったこともありますが、でも考えて見ると、本当に外見「だけ」で判断するなら、直接にお会いするまでは判断保留なんてやるわけない。
 外見だけで判断するのなら、遠目に「ホラ、あれが〇〇さんだよ」と言われただけでも判断してしまうはず。

 ということで現在では、自分で自分の直感を当てにしている状態です。
 どうも初めましてと目が合ったとき得られる「感触」を、今の私は疑いません。

 といってもいきなりそこで好き嫌いを決めているということではありませんので念のため。

 好き嫌いはまた別の話なんですよねえ……。相性の良し悪しはあるでしょうが、パッと見て得られた感触によって、ベタベタなつくことも、やけに嫌ってしまうこともない。

 こういう直感が鋭く働くのは、私が臆病者である証拠だろうと思ってます。

 どうも人間という生き物が、怖くてしょーがないんですよね、私。
 可能な限りその危険性を遠ざけるか、小さくしようとする本能から、相手がどういう人柄か、可能な限り広範囲、かつ素早く、掴んでおこうとしているんだろうな、と、そんなふうに思います。

 あとは、言葉についてはかなり敏感なところがあるので、少しその人の話ぶりを聞けば、言葉のクセのようなものから判断できることも多い。
 少し話を聞いたり、書いたものを読んだりして、「ああ…なるほど」とうなずいているのはそんなとき。


 草食動物は、例えば、大きな耳という鋭敏なセンサーや、機敏な逃げ足とを持っていることが多いですが、私の「直感」も、そういうものなんだろうと思います。

 人を外見で判断してはいけないというのは確かですが、でも、臆病者の直感は、それとは似て非なるもの。
 外見で判断してはいけないのに、と、自分を責めてしまう人がもしあるなら——自分で自分の直感を信じられると思うなら、その直感には従っていいんですよ。と。
 ちょっと長生きしてる臆病ウサギとしては、お若いウサギには、その直感は大事にしてね、と申し上げたいと思います。
 
 
関連記事
双方向性思いやり
2017年07月26日 (水) | 編集 |
 昨日の話の続きになってしまいますが、なるほどなーと思ったことをひとつ。

 婚活コンサルタントさんの、知り合ったばかりの人との初デートには、手軽なファミレス(イタリアン系)「のような」ところは避けたほうがいい、というツイートについて、皆様がずいぶんあれこれ言うのを、「なんだかちょっと的外れじゃない?」と不思議に思って眺めた、という件。

 そのコンサルタントさんの「論旨」に対し、皆様がわっとばかりに反応した部分が、話として噛み合ってない、と私は感じたわけですが。
 反応した方々の着眼点はまたちょっと違ったんだねえ、と思いましたので本日その件、メモ書き的に。気楽に。

 まずは「初デートにイタリアン風ファミレスだなんて!」と憤慨したかたがおっしゃるには、
「初デートということで(女性は)ずいぶん気を使う。美容室行ったり雑誌でチェックしたり、当日も朝からパックしたり髪を整えたり。
 そうしてドキドキしながら行ったらイタリアン風ファミレスだなんて黒歴史」
「相手の気持ちを考えて欲しい」
「イタリアン風ファミレスが悪いのではない。それはもっと親しくなってからの『日常』デートの場所」
「初デートといえば特別の日であり(日常ではない)、思い出に残る素敵な場所であって欲しい」
 ……とのこと。

 多かれ少なかれ、初デートにイタリアン風ファミレスに反発するのは、安い高いの問題ではなく、「特別感」を共有してもらいたい、ということであり。
 自分はこれほど気を使って一生懸命準備しているのに、ネットの口コミサイトか何かでテキトーに決めただけの場所に、テキトーに連れていかれる、そのテキトーに扱われる、つまりは「ないがしろにされる」のは、悲しい。ということ。

 なるほど。
 相手に尊重されないことは、虚しいし、悲しいこと。
 まして、好きな人からそんな扱いされたら、なおさら。
 これはわかりますねえ……。
 相手から軽んじられた、と思うと悲しくなるのは、これは男女に違いはないように思います。

 かたやしょっぱなから「金銭感覚を『試して』やろう」という意識、片方は「初デートでドキドキだから素敵な場所で過ごしたい」だとすれば、なるほどこれはもう、すれ違いどころの話ではないなあ、と、もはや感心いたしました。

 しかし中には、別に金銭感覚を試すなんて意地の悪い気持ちなのではなくて、本当に、どこへ行ったらいいのか見当もつかない、という人もあるでしょうしねえ……。
 やっぱり、「一概にはいえない」というのが、着地点になる気がする。

 ふーん、と思ったのは、結局これ「思いやり」の話なのね、ということ。

 率直に言ってデートと言われてもどこへ行けばいいかわからない、というのを思いやってあげる余地はあると思うし(わからなかったら率直に、どこへ行きたいか聞いてもいいと個人的には思うけどそれは無しなのね)、ファッションが多少「やりすぎ」になったとしても、それだけ気合を入れて楽しみにしている、という気持ちを、思いやってもいいんじゃないのか、と。

 で、双方で、「思いやって欲しい」と言い合うばかりで、相手を思いやることをしないのであれば、そりゃもう、空中分解するのはしょーがないでしょう、と。
 気楽な第三者としてはそのように思います。すみません、完全に面白がってますこの議論。(^^;)

 その昔、失恋したての後輩の男の子としみじみ飲みながら、なんでそうなっちゃったん、なんて話をさせていて、
「自分の気持ちの押し付けになって、相手のことを『聞く』ことがなかった」
 という結論にいたり、いつのまにか聞き耳を立てていたらしい周囲から
「ああ〜、あるよね〜。それはある!」
 という同意の声が上がり、なんだよ盗み聞きかよと笑ったことを思い出しました。

 自分のことに夢中になり、思いやって欲しいと思うばかりで思いやれないなら、それはもう、仕方のないこと。
 ただ、思いやりさえも行き違いになることはある。気を使っているのも、思いやりがあるのも確かなんだけれど、そういう気持ちが「伝わらない」ことも、少なくないような気がします。
 
 どれほど思っていようと、それが相手に「伝わる」ことがなければ、その思いやりもないことと同じにされてしまう。
 このあたりが難しいところなんでしょうね。

 初デートにイタリアン風ファミレスはいかん、と言っても、本当にいかん人もあれば、全然問題ない、カジュアルの方が気楽に話せていいという人もあるでしょう。行き先どこがいい? とキャッキャウフフで話し合うこと自体楽しい、という人もあるでしょう。
 これはもう相性としか言いようのないものかもしれない。

 結局はやはり問題なのはイタリアン風ファミレスか否かではなくて、思いやりを持てるか、それが「通じる」か、ということになりましょうか。

 イタリアン風ファミレスではあまりに思いやりがないではないか、というご意見も聞けばごもっともだし。
 でも、それも、彼が一生懸命考えたことならそれだって思いやってもいい話だとも思うし。

 となると話はやはり大元へ戻って、「コミュニケーションをどう取るか」を考えましょうか、ってことになる気がしますね。
 そう聞かれたコンサルタントさんは、「落ち着いて話すことはできないから、イタリアン風ファミレスはやめたほうがいいよね」とアドバイスする………。

 なにやら、話が堂々巡りしているようですが(笑)

「初デートにイタリアン風ファミレス」の可否が「問題」なのではない、そこにばかりこだわると本題を逃してしまう、——やはり私としては、そのように思います。

 まあ、自分の意思や思い、どうしたいのかどうして行きたいのかをしっかり持つことも確かに大事ですが、相手も同じようにそういうものを持っている、ということにも、同じくらい目配り気配りしたほうがいい、ともうせましょうか。

 活動中の皆様。
 頑張ってくださいね。←ひとごと
 
 
関連記事
蒟蒻問答
2017年07月25日 (火) | 編集 |
 なんだか落語の「蒟蒻問答」みたいだなあ、と思わず腹を抱えて大笑いしてしまいました。

 一昨日でしたかその前でしたか、ツイッターのTLに、サイゼリヤさんがデートにはどうこうというのと、サイゼリヤを嫌がるような女はダメというようなのとがちらほらあって、なんかサイゼリヤさんがディスられてる? とうっすら思っておりまして。

 昨日になって、たぶんこちらのツイートが火元になったのかな、とようやくわかりました。(←流行に疎い)



 これの趣旨は、金遣いの荒い女性を避けるための一つの知恵というか方便というか、まあ、そういうチェックの仕方もありますよねってことでしょうね。
 ちなみにツイ主さまは、ツイッターのプロフィールによりますと「婚活コンサルタント」とのことです。

 昔から「仲人口(なこうどぐち)」なんて言葉もあって、男女の出会いとなりますと、当初はいいことばかりを言いつらね、欠点は小さく、長所は大きくいうのは人情というものでしょう。
 とはいえ、やはりどうしても聞いておきたい話としては、お金のことは小さくない。経済観念が一致しないというのは長期的な付き合いには難しい条件となりますから、浪費家かどうかというより、経済観念がどうかを見る方法にはこれもありますよ、って、そんな程度のことですよねこれ。

 これがなんでそんなに大きな話題になったのか。しかもみなさんの反応している場所が、ちょっと論旨とは違うところにあるようにも思えるんですが。(^^;) まあいいけど。

 私としてはむしろ、サイゼリヤさんのこの扱いが、なんかこう……、いや、そりゃ高級店ではないのはたしかだけれど、なんかこういうクローズアップのされ方って、「チガウ」気がするんですよね…。どう違うのかは私もちょっと掴みかねてますが;;

 ツイ主さまにとっての元々の問題は、クライアントさんを含めた多くの人の、「ひとつを聞くと『そのまんま』引用するような融通のきかなさ」ではなかったでしょうか。
 馬鹿の一つ覚えという言葉もありますが、何か一つがいいと思うと一斉にみんなが「同じこと」をする。単品ダイエットの流行や、何を見ても何を食べても絶景と絶品としか言わない単細胞ぶりに通じるような。



 あくまでも「例えば」として話したことなのに、それが唯一無二の経典でもあるかのように、「言われた通り」に実行している人が、しかも続出した、というあたりに、ツイ主さまはまず、頭を痛めたと読み取れますね。
 例えばこういうことでさ、と言っただけなのに、「判で押したように」みんなが真似した、ということですね。

 右がいいんじゃないと言われれば右に向かい、でもこっちも近道、と言われるとそちらにわーっと群がり、でも左の道は舗装されて綺麗だよと言われるととって返してそっちへ驀進…。
 そうじゃないんだよ、と、頭を抱える様子が伺えます。



 ツイ主さまのおっしゃることの「論旨」つまり「言いたいこと」は、とにかくお相手の方と、初対面の状態からいかにスムーズにコミュニケーションを重ね、親しくなっていくか、ということでしょう。
 そのために考えること、そのために気遣うこと、その「例」として、あげたにすぎない話題ですよねこれ。

「我が意の通じなさに泣けてきた」って感じが見て取れて、私はちょっと同情してます……。(^^;)
「伝える」ことは、ことほど左様に難しい、ともいえますね。

 ツイ主さまはあくまで「例」としてあげていることなので、婚活しているその方の条件や状況、相手の方の状況、双方の性格、それぞれに違うことでしょう。
 主様の「言いたいこと」は、詳細なテクニック的なことではなく、「こういうところに気配りしましょう」ってことだったんじゃないのかな? ねえ。(^^;)

 さして親しいわけでもない人には、まあそりゃ、それなりに気を使いますよね。
 私は何もおかしなことを言ったわけではないのになあと思って拝読いたしました。

 ほんと、——「言いたいこと」を「伝える」のって、難しいですよねえ……。(^^;)
 
 
関連記事
コミュニケーション指南
2017年07月24日 (月) | 編集 |
 コミュニケーション取れてるってこういうことかなあ、と感心したこと。
 大勢の人が感心したものと見えて、「いいね」が現時点で20万…。



 こちら2枚組の漫画形式となっておりますので、ツイートを開いてメディアをご覧いただければと思います。
 が。環境で閲覧できない方もあろうかと思いますので(twitterさんフィーチャーフォンに帰って来て〜;;)無粋にもざっくり説明いたしますと。

 ツイート主さまがご帰宅。
→奥様ご在宅ながら、珍しいことに不機嫌そう。
→ツイ主さま、奥様に、「3つ質問していい?」「構いません」
   ↓
「落ち込んでいるようだけど体調悪い? 機嫌悪い?」
「体調はイマイチで機嫌が悪い」
「なるほど。一人がいい? そばにいて欲しい?」
「一人にしてもらえると助かる」
「では夜9時までカフェで作業してきますが、欲しいものある?」
「ジャイアントコーン」青じゃなくて赤のやつ
 おっけー。探してきてやるよ 最高のジャイアントコーンてやつを✨
「ありがとう」普通のでいいよ

 まず感心したのは、リプにもあるんですが、ツイ主さまに最初に「落ち込んでるみたいだけど、体調悪い? 気分悪い?」と質問されたとき、どうも甘えがあって、つい、「べつに」とかっていう返事をしそうになるよなあ…、と我が身を省みてまずここで、そもそも、大反省;;;

 そんなわけで、そう聞かれて「体調イマイチで機嫌が悪い」とお答えになる奥様、えらいなあ、と思いまして。
 機嫌が悪いときはその機嫌の悪さをまず外へ出してしまう、ってこと、多い気がする。

 それを甘えと申しましたのは、これ相手が友達だったらそういうことはしない。なのに、家族とかだとたちまち「べつに」になるから。

 あと、現在の自分の状況がどうなのかをきっちり把握してますよね。昨日お話ししました、「メタ認知」「自己分析」の意味はこのへんにある。
 機嫌が悪いときに機嫌が悪い「そのまんま」で対応するのではなくて、黙ったまま何処かへ行ってしまうのでもなくて、「今、私は機嫌が悪いのです」と言えるのは自己分析のなせるワザ。

 不機嫌ではあるとしても、それで他人を巻き込まない、というのは大事なことですね。
 で、そういうときに「ではそのように対応します」と言える方も偉いなあ、と。

 一人でいたいか、そばにいて欲しいか、というのは状況によって変わる。それをオプション(選択肢)として用意するのは、これはもう、それこそ、この場面だけのことじゃなく、日常での、あるいはこれまでの、お互いのやり取りの中から自然に出てくる「オプション」なんでしょうね。
 
 と思って、ツイ主さまのプロフィールページに行ってみたら、固定ツイートがありました。
 こちら。



 ご自分でもご夫婦仲がよろしいというのは自覚があったけれど、あらためて人からそれを指摘されたとき、コミュニケーションがうまく取れずにいる人が多いことんあらためて気がつき、ならば自分の話は参考にしてもらえるところもあるだろうか、とのこと。

 こういう、コミュニケーション上手のお話は是非、世に広めていただきたい。ありがたいなあと思った次第です。

 こちらではご夫婦間のことですが、でもこのコミュニケーションてやつ、人間関係全般に必須のものですから。上手な方のお話は是非とも、聞いて真似して応用・実践できるといいなと思いますね。

 印象的だったのは、その固定ツイートにありますが、基本的な心構えとして、
「妻は他人である。ということを絶対に忘れない」
 これは友達でも家族でもなんでも同じで、
「相手が妻・夫だから要求する権利がある」という考えは大変危険だ——とおっしゃる。

 その通りだと思います;;
 いつぞやは、ご夫君のお宝を許可もなしにごっそり捨てたという、人非人の誹(そし)りもまぬがれないであろう妻君のことが話題になっていましたが。
 基本、それがどんな人間関係でも、自分以外は「他者」なんですよね。他人というと抵抗してくる人もありますが、でも、他者、というとイメージしやすいかな。

 自分以外に自分はいない。その感覚。

 そうは言っても、これも相手のあることで、片方だけがコミュニケーション上手で、相手は箸にも棒にもかからないようなのでもなんとかなるなんてことはない。
 相互の「やり取り」、そのバランスだよなー、と、感心して拝見した次第です。

 人間関係において「距離感」の話をされることは多いんですが——実際、その通りだなと納得はするものの、では自分の「日常」にどう取り入れるのか、応用するのかという、具体論になると、途方にくれる、という人も多いはず。

 やっぱり先ずは、自分が、自分の「気分」に振り回されずにいることが大事なんですねえ……と、我が身を省みて猛省中;;

 まあ、できることをひとつずつ、でしょうけどもね;;
 どんなことも;;
 
 
関連記事
メタ認知修行
2017年07月23日 (日) | 編集 |
 20代女性に仕事のことを尋ねてみたところ、
「職場は男性が多くて、働きやすい環境です」
 ともし言われたとしたら、どういう感じがします?
 なんとも思わず聞き流す人が多いかな?
 私は、一瞬もないくらいの短い時間ではありましたが「は?」と思いました。

 無意識の思い込みってこういうもんだわなー、と、ちょっと面白かったというお話。

 日経新聞土曜版、いろいろな話題のコラムが多くてけっこう好きですが(生活実用一般の話題が多い)、その中に人生相談コーナー、「なやみのとびら」があります。
 回答者は何人かいらっしゃいますが、今回は脚本家の大石静さん。

 相談者は、上記にもちょっと書いた通りで20代女性、仕事が生きがい、とおっしゃる。
「働きやすい環境で感謝しているが、自分以外に女性社員が3人いて、いつも2:1で対立し、陰で悪口を言い合っている」
「自分は悪口を言わない主義」
「我慢しているがさすがにうんざり。でも全員自分より年上(50歳代以上)なので口答えできない」
「どういう心持ちでいればいいのか」

 悪口を言わない主義というのはけっこうですが、悪口を言わない主義ならこんなことを書く必要もないんじゃないの? というのが私の最初の印象。
 と思ったら、回答者の大石さんのお答えもほぼ同じでちょっと笑ってしまいました。

「どういう心持ちでというなら、聞き流していればいいでしょう、働きやすい環境であるならそれで十分ではないか」
 そうおっしゃって、返す刀で、
「確かに、悪口ばかり言う先輩は褒められたものではないが、あなたの質問の裏には、『自分は若く、悪口を決して言わない人間だが、(御年配の)先輩たちはなってない』という『蔑み』があるように思う」
「それはすでに悪口ではないか?」

 私は悪口を言わない「立派な」人で、先輩方ははるか年長者なのになってないよね、と言う、「蔑み」があると感じられて、私(=大石さん)はちょっと寂しいです、と。

 ですねえ。(^^;)

 私も可能なかぎり悪口は言わないように、そして「聞かないように」という気でいるので、質問者さんのお考えには同意なのですが、悪口ばかりの人についてはそんなに「執着しない」んですよね。
 そこであの人たちは悪口ばかりだ、イヤダイヤダと思うのも、「執着」。心をそこに寄せている状態。

 あーまた始まった、と思ったらにっこり笑って何も言わず、その場を離れる、というのが、私の「心持ち」と申せましょうか。
 どうしたらいいでしょうなんて考えたことはないので、へー、と思って読んでました。

 私が引っかかったのはむしろそこではなく、「職場は男性が多く、周りのみんなもいい人です。働きやすい環境だと感謝しています(記事原文)」のところ。
 これだけならまあ気にしなかったと思いますが、続けてきたのが「女性社員が私の他に3人いるのですが…」。

 この言い方の「裏」には、「男性はカラッとしていて付き合いやすいが、女性は陰湿」という、ステレオタイプがある、と感じるんですよね。
 ステレオタイプというのは「紋切り型」「固定イメージ」とでも申しましょうか。日本人といったら出っ歯でカメラを首からぶら下げている、というのが外国におけるイメージとして出てきますが(最近はそうでもないのかな)、例えばああいうのですね。

 あたしゃ男性の方が陰湿だなあと思うことが多いですよ(笑) 「なさそうであるのが男の嫉妬」なんていうの、「あるだろうとは思っちゃいたが予想を超えてひどかった男の嫉妬」と言いたいものを見てきましたんで。

 つまるところはその人個人の人間性であり、男だからこう、女だったらこうというのは「思い込み」であり、「固定イメージ」に過ぎません。
 イメージはイメージであって「実態」ではない。

 あと、人間の面白いところで、自分の好き嫌いに「合わせたように」事象は起こる、ということ。
 私は男嫌いの女好きですから、男性の嫌な面の方が気になるし、女性の良い面ばかりに目がいく。
 私の亡父は逆で、女嫌いとまでは言いませんがそれに近いところがあり、——全く同じ場所で同じものを目撃したのに、私と父とでは、感想も、その事件の解釈も何も、正反対ということはよくありました。

 自分の好き嫌いや思い込みのフィルターによって、同じものを見ても聞いても、解釈も感想も、まるで違ってきます。

 私は、この質問の場合、「男性が多くて、働きやすい環境で」というのは、は? だったのです。
 男性が多いことと、働きやすい環境、というのは、私の脳内では何の結びつきもありません。
 何だそりゃ? と、うっすら思ううちに質問が展開され、「あー……ステレオタイプだこれ」と思った次第。

 でも、こういうもんなんですよね、人の意識って。

 常識とか既成概念とか固定観念というのは、こういうものです。

 で、こういう人に、かくかくしかじかで、あなたそれはそういう思い込みですね、というと、まあひとまずはびっくりされますね。
 驚いて、そうなのかと考え込む人はまだ柔軟性のある人。
 固定観念が強烈な人は、そこで怒り出します。自分の「安全」が脅かされたように感じるようです。
 足元にあった地面が崩壊するような危機感を覚える——その感覚はわかる。私はもう何度も足元が崩壊しているので。(^^;)

 でも、崩壊するのは自分の思い込みであって、本当に地球が割れるわけじゃないから死にやしません(笑) 大丈夫。

 悪口を言わないという志は立派。その気持ちはそのままに、自分の思い込みをひとつ破壊できたら、自分はもっと身軽になれる。

 私は悪口は言いませんと言いながら、悪口を言う人の悪口になっている質問者さんへの、大石さんのアドバイス。
「そういうことを自覚できないと、あなたはいずれ先輩と似たような、あるいはそれ以上にしょうもない50代になってしまうかもしれませんよ」
「自己分析ができない人間は、他人も理解できず、思いやりも持てず、結局、人間関係において損をすると、私は思います」
「どうか、文句を言う前に、もう少し、自分の感情や行動を分析してみてください」

 ……つまらないセッキョーだとしか思ってもらえないかなあ。でも、私も同意見です。

 自分がどんな思い込みを持っているかはなかなか自覚できないし、好き嫌いですら、どこにあるのか、自覚するのは難しいもの。
 知性とは「メタ認知」である、と言った人がありましたが、「自己分析」が、そのメタ認知だと申せましょうね。自分を、他人の目で見る。なかなかたやすいことではありませんが、でもそれはだんだん身についてくるし、いずれは自分を助けてくれる。

 あんな50代以上は嫌だなと思うのであれば、自分がそうはならないように、自分にこそ、冷静な目を向けておくのがよろしいのでしょう。

 なんて言ってますが、これがもーどんだけ難しいことか;;
 私の場合は、それだけが、実感として持っていると言えるもの。
 知性の「修行」は、死ぬまで完成しないだろうなあ、などと思っているところです。(^^;)
 
 
関連記事
今年もこの季節がやって来ました
2017年07月22日 (土) | 編集 |
 今年も地元、地方自治体の健康診査(いわゆる健康診断)が始まっております。
 乳がん検診に予約を入れたのですが、年々、予約が取りにくくなって来ていますね。今年はさらにすごいなあ、と、やっと予約取れた日を見て、実感を強めております。

 私も一昨年にはこの検診で引っかかりまして(専門病院での徹底した精密検査で良性とわかりましたが)、そのときお世話になった病院で継続的に診ていただこうということで、今年も予約を入れました。
 が——もう、ほぼ予約は一杯の状況だったのでびっくり;;
 しかも、今年はその病院では、担当の先生の人数を増やしているのに、です;; 

 日本ではまだまだ受診率が高くないと言われる乳がん検診ですが、それでも少しずつ受診率は上がっているんでしょうか。いいことだと思います。

 ……なぁんてね。のんきに書いているようですが、良性とは言え腫瘍が見つかった過去があるわけだし、私だって、検査のことを考えるとドッキドキですよ;;
 やだなあ、と思うけど、万が一のことを考えるなら、やはり早めに見つかるに越したことはないわけで、……頑張ります;;(何をだ) 
 頸がん検診も行かなければ……こちらも気が重いです;;

 検診の受診率が上がると死亡率は下がる、という現象があるのは確かなこと。
 受診がもう当たり前になったアメリカでは死亡率は頭打ちになっているそうですが、検診受診による予防・早期発見の効果は十全と言えるところまできている、ってことなんでしょうね。
 検診による予防効果は、望める目一杯のレベルまで来た、ということ。
 でも、日本では受診率が高くないので、まだまだ効果は上げていけるとおもわれます。

 こういう各種集団検診について、ずいぶん否定的なことを言う人もあります。
 私も、人間ドックで異常なしと言われて半年後に亡くなったかたを知っているので、それも確かに言える、とは思います。

 でももう——そう言うのは、しょーがない、と思うんですよね。
 確かに、検査で見落とされたか、あるいは病気の進行が半端じゃなく早くて間に合わなかったか、だったのであろう例も知っています。

 でも、だからって「検診なんか無駄」とまでは言い切れないでしょう。

 実際、受診率が上がると死亡率は下がるというデータは無視できませんし、早めに見つかったので助かった、あるいは予後がよかったという人が少なくない人数、いるのも確かなこと。

 ………私が見るところ、健診をやけに力を込めて否定する人って、よーするに自分が病院へ行くのが「怖い」人が多いようです。
 怖いからあんなの行かない、というだけなら、そうですか、で済むのに、ミョーに利いた風なことをいうから、かえって「説得」圧力に晒されるんじゃないの? (^^;)

 理屈で押せば理屈で返される。
 素直に、怖いです、と言えば、そうですか、となるところ、健診の存在意義なんて話をするから、ますますややこしい理屈で説得されちゃうんじゃないかなあ(笑)

 そのうち、生活習慣と本人の性格と、遺伝子の情報から、その人がどんな病気になるかをある程度、予測できるような時代が来るかもしれませんね。でも、今の状況では、「全体の傾向」から、考えうる予防策を取って行くしかないように思います。

 NHKの「総合診療医ドクターG」を見ていると、世の中には本当にもう、いろんな病気があるんだなあ、と感心するのも通り越して呆れるほど。
 そういう中で自分が何の病気をするかなんてわかるもんじゃない。でも、より危険性の高いものを予防しようということが「無駄」「無意味」だとは思えません。
 じっさいに罹患された方は、検診の啓発運動に参加なさる方も多い。結果論のように見えるでしょうが、でも、効果はゼロってことではない——それを実感なさるんじゃないでしょうか。

 忙しいということもあると思いますが、でも、自分自身に手をかけるのも、ひいてはご家族のためになるわけですし、自分の身をまず自分で気にかける、手をかける、時間をかけるというの、大事なことじゃないかな、と。

 ………そんなわけで、今年も、気が重いなあ、と言いながら、私も頑張ってまいります;;

 病院嫌いの人には「私だって好きで行ってんじゃないよ!」と、わめきたくなることもある——、と、ぶっちゃけたところで(笑)、本日はこれにて失礼いたします。 
 
(じっさい、ウキウキして検診にいくヤツなんかいないでしょ…;; あんまり子供っぽいことを、いかにももっともらしそうにいうのは、ほどほどに願いたいですよ;;)
 
 

関連記事
ずる休み
2017年07月21日 (金) | 編集 |
今日はこちら、お休みいたします。

梅雨明けが宣言されて1週間も経たないのにもう夏バテ……ということも、多少はあるかと思いますが。(^^;)
いちおう、投稿しようと思えばできる原稿…というか下書きもあるのですが、どうも、今日はそんな気分になれませんで。

私自身もちょっと身辺がごたついておりまして、少々凹み気味でいたので……いえ、これはもう全く大したことはありません。ただ気分的なものです。(^^ゞ

大したことはなくても、ちょっと無理だな、と思ったら、わがままを言って休むのがよろしい、というのはこれまでの経験で骨身に染みたこと。
そんなわけで、今日は大した理由もなく「ずる休み」いたします。(^^;)

d73dcd3e4fc38def8ad9751b7d590ceb_s.jpg

どーしても無理をしないといけない、ずる休みも許されない、という状況は人生の中にはあるもので、それはそれでしょうがないんですが、でも、可能であるならば、休めるなら休んでおかないと、後でかえって周囲に迷惑をかけることになる——このへんはさすがに「学習」しました。

そんなわけで夏バテに言(こと)寄せて、おやすみ。

夏バテといってもこれも甘く見てはいけませんしねー。
「鬼の霍乱(かくらん)」は、体が丈夫な人が珍しく病気になることを言いますが、この霍乱は夏バテ——日射病のことともいうそうで。

辞書を見ますと第一義は、

「夏に起こる,激しい下痢や嘔吐を伴う病気の古称。
 今日の急性腸炎コレラ赤痢などか」


とのことなので、なるほどそれはもう命にも関わる、と納得です。

いえ、夏バテ、暑気あたり、熱中症もあだやおろそかにしてはいけません。

風邪は万病のもととも言いますし、どんなことでも、「たかが」はない。
体や心から「お知らせ」があったら、無視はできませんよね。

これはもう、ちょっと無理——という信号が来たら、可能な限り、その信号に従うことにしております。

皆様もどうぞ、ご無理は(可能な限り)なさいませんように。

明日にはきっとお目にかかります。
本日のところは、これにて。m(_ _)m
 
a8c31267af0eb99aca5b35d5f6e7bbb4_s.jpg
 
 


関連記事